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醫院の建築と庭

この醫院は古民家再生で知られる建築家、降幡廣信先生に設計していただきました。
はじめは鉄筋コンクリート3階建ての近代的な医院を国道158号線沿いに建てるつもりでした。
でもなにか違う。
僕が造りたい医院は醫院なのです。
この醫という古い漢字に込めた思い、それは赤髭のころにあり、いまの医療にはなくなりつつあるなにかへの憧憬でした。
持続可能(sustainable)な医療。
どこかその醫院にいくとホッとする、院長やスタッフに会うと安心できる、そんなおもてなしのできる空間には清潔で合理的だけれど冷たい鉄筋やコンクリ―トの建物は似合わない。
僕が造りたい醫院はやはり木造でした。
その空間で「手あて」をする。
院長の温かい手、スタッフのやわらかい言葉、そして珪藻土の壁や無垢の木の手触り、そこには僕自身が挿れた草花がどこかヘタクソだけれどしつらえてある。
そんな要望に応えていただいたのが降旗廣信先生の山共建設でした。
先生の事務所を訪ねたとき、はじめに言われた言葉をいまも忘れません。
「医院の土地を周辺の人のために提供してください。駐車場に何台停まれるのか、そんなことが大切なんじゃない。その代わりにそこに木を植える。地域の皆さんに緑を楽しんでいただく。そうすればだんだん愛される醫院に育っていきます」
降旗先生との出会いからはじまった石川醫院は木漏れ陽のなかで診療できるような素敵な空間になりました。


庭師 小口基實先生
はじめは京都の庭にあこがれていました。
いわゆる茶庭です。
飛び石があり、手水鉢が置かれ、もみじが揺れてその影が緑の苔に落ちている。
そんな素晴らしい庭を造っていただいたのが岡谷の小口先生です。

でもなにか違うんですね。
僕が本当に造りたかった庭は診察室から患者さんと一緒に観てホッとする庭。
茶庭に小鳥は遊びにきてくれない。
僕が愛せなかったからなのでしょう。はじめに植えた5本のもみじはすべて枯れてしまいました。
そこで僕の理想とする庭に造り直すことにしたのです。

庭師 所孝一さん
いまの庭は彼と造りました。
いや正しくは僕と彼と自然との共同作業。
まずは土づくりから。前庭全体を1.5m手作業で掘って土を入れ替えてもらいました。
かれは馬鹿とつけたくなる正直な職人ですから信念を曲げない。そうすると施主さんとぶつかります。生計のために折れてはしょげている。
いまどき珍しい絶滅危惧種のプロなのです。
この庭はできるだけ彼が造りたいように自由にやっていただいたつもりなのですが、17年間も経ちますと僕と彼の恣意なんてすっかり自然に喰われてなくなってしまいました。

それでも野放しにはしない。
しっかりと手を入れ、すぐに自然に押し戻される、その繰り返しのなかに気持ちのいいバランスがあることがわかってきました。